京都工芸繊維大学美術工芸資料館

京都工芸繊維大学

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Kyoto Institute of Technology

「大学美術館を活用した美術工芸分野新人アーティスト育成プロジェクト」

谷 穹/Tani Q

◎インタビュー

信楽 大壷

《信楽 大壷》 2014年 写真:杉本賢正

谷さんは、これまでどういう作品を作ってこられたのですか?

「古信楽」、すなわち14世紀から15世紀の中世、室町時代に信楽で作られていた壷や甕などを目標に作品を制作しています。 信楽の焼き物は、江戸時代になってから焼き方や品物が変わり、それによって穴窯(単室式の窯)ではなく登り窯(連房式の窯)に代わりました。それ以来、「古信楽の壷」は焼かれなくなり、その焼成方法は現在も分かっていません。昭和の中頃から、室町時代の焼き方を再現しようと窯元や作家によりそれぞれ穴窯が築かれ、焼かれるようになります。私も大学を卒業して暫く、家業の陶房に入りました。 一般的にそれは信楽焼として認められていて、きれいなものだと思います。 ところが、いくらやっても「古信楽」とはどこか違ったものが、出来上がってきます。上手くいかないそのうちに、目に見えるはっきりした焼きの変化を求めるようになっていました。例えば、ビードロが紫だとか、青だとか、その中に火色の生地が残っているとかです。目的が「これまでにない変わったもの」に、すり替わっている時期がありました。今思えば本物との差、技術の不足から目を背けていたのだと思います。
しかし、これではいつまでたっても、「やきもの」でなく、「やけもの」しか出来ないと思い、30歳を過ぎたあたりから 再び姿勢を正して「古信楽」に向き合い始めました。

《信楽 大壷》 2014年

なぜ谷さんの関心は変わったのでしょうか?あるいは、なぜ室町時代の壷に近づけたいと思われるようになったのでしょうか?

室町時代の壷には多くの人々を魅了する「力」を持っています。他の時代に比べて圧倒的に優れた技術と、美意識を感じます。先に言ったとおり、20代の頃は、そういうことに意識が向きませんでした。もちろん室町時代の壷を見ているのですが、正しく解析して観る技術がなく、目を背けて物事の表面ばかりを取り繕っていたからです。
そうした意識が変わってきたのは、少しずつ作る技術と、観る技術が伴ってきたからではないかと思います。つまり焼き物の技術が上がってきて、穴窯で出来る範囲や特性がある程度分かってきたときに初めて「古信楽」の凄さが本当の意味で理解できるようになった、という感じでしょうか。同じように作っても出来ない本当の差を覚悟したわけです。
難しいのは、どういう窯でその窯の中のどの場所でどれぐらいの温度で何日間どうやって焼くか分からないことです。しかもそれは、想像した方法を試してやるしかありません。 その結果を見て、何がどのように作用したのかを考えていくしか、方法はありません。最初は室町時代当時の窯に近い形式の窯を自分でも築いて焼いてみたのですが、上手くはいきませんでした。窯を築き直してからも、温度をいつもより上げて奥の方におく方法を考えたり、いつもより低い温度で試してみたり、いろいろな失敗がありました。
薪の入れ方、温度の上げ方、窯に送る空気量、など、室町当時の焼成方法を探すためには調整するべきところがまだまだたくさんあります。

現状として、室町時代の作品にどれほど近づくことができていると思われますか?

自分が理想とするかたちには、近づいてきているように思います。これまで経年によるものとされていた変化に近いものが出来る様になってきました。また、窯の場所に土を合わせていくことで、少しずつですが、「やきもの」が出来る様になってきたと思います。ただ、「古信楽」は技術的に優れていて、端正に作られているというだけではありません。意図的に粗雑に作られているように見える部分もあります。単に技術的に優れたものを作ろうとするだけだと、「上手さ」が作品から見えてしまって、「古信楽」からは遠ざかってしまうと思います。当時の人々がどういう意識を持っていたか、考える必要があると思います。今はまだまだ差がありますが、「古信楽」の隣において見劣りのしない作品を作ることが理想です。

信楽 蹲 跼 跂

《信楽 蹲 跼 跂》2013年

お話を伺っていると、谷さんの意識としては実用品を作る工芸作家というよりも、作品を作る美術作家に近いような印象を受けました。ご本人としてはどのようにお考えですか?

そうですね。その区別で言えば作家の方に近いと思います。ただ、ひょっとすると室町時代の人々も作家という意識を持っていたのではないかと思います。室町時代に壷や鉢を作った人たちは、農民だったと言われています。農閑期に焼き物をやっていたそうです。最近、世阿弥の「風姿花伝」を読んでいて気がついたのですが、室町時代というのは芸術が大衆へと広まった時代、つまり、神様や公家に奉納するためのものではなく、民衆が楽しむための芸術が生まれた時代だと思ったわけです。もちろん「風姿花伝」の内容そのものも陶芸家にとって重要なことですが、世阿弥が地元や田舎の興行での人気を重要視していたことこそがポイントだと思いました。おそらく壷や甕も、当時の人たちが家庭の中に置く作品として、競い合って作っていたのではないでしょうか。そういう意味で昔の人たちも作家意識を持っていたのではないか、と最近は考えています。

LAND Re SCAPE

《LAND Re SCAPE》2007年(キュレーターズアイ2007展示風景、於:ギャラリーマロニエ)

これまでの谷さんの展覧会歴を拝見すると、現代美術のインスタレーションのような展示をされるなど、展示方法を工夫されていますよね。

焼き物を作って、それをただ並べること以上のものが出来るのではないかと思って、展示空間を工夫してきました。個人的には、鑑賞者の見方が広がるような展示を考えています。言うなれば、「気が着いたら別の場所にいた」という感覚です。たとえば茶の湯の場合だと、きちんと設えられたお茶席の中に入って行きますよね。それは別世界の中に入っていく感覚に近いと思います。しかし僕が自分の作品でやりたいのは、別世界の中で別世界のものを見るのではなくて、日常の世界の中にいながら、別世界のものにふれるための場を作る。普段の感覚のままで気が着いたら別世界へと繋がっているような、そういう空間を作ることを理想としています。

「これからの、未来の途中」展では、どのような展示をされる予定ですか?

来館してくださった方に先入観のないフラットな状態で作品を見てもらえるよう展示空間を作りたいと考えています。壷となると、重厚で威圧感を与えてしまい、非日常的なものだと感じてしまうと思います。あるいは「あぁ信楽ね」という解決をされると、そこから先に深まりがありませんよね。だから作品に感じ入ってもらえるよう、威圧感をほぐすような空間作りをして、「やきもの」の世界を楽しめるような場を作りたいと思っています。

◎プロフィール

経歴

1977年

滋賀県生まれ

2000年

成安造形大学立体造形クラス卒業

主な個展

2005年

  • 「不在庵」ギャラリー陶夢(滋賀)

2006年

  • 「小路苑」小路苑(東京)
  •  
  • 「LAND e SCAPE」成安造形大学ギャラリーアートサイト(滋賀)

2007年

  • キュレーターズアイ「LAND Re SCAPE」ギャラリーマロニエ(京都)

2008年

  • 「Gundaroo」Old Saint Lukes Studio Gallery(オーストラリア)

2013年

  • 「谷穹陶展」ギャラリー陶園(滋賀)
  •  
  • 「LAND e SCAPE」滋賀県陶芸の森 陶芸館ギャラリー(滋賀)
コレクション

2014年

  • 《信楽 大壷》(2014年制作) ポートランド美術館(アメリカ)
その他

2007年

  • 双胴式穴窯 築窯

2012年

  • 単室式穴窯 築窯