《mental picture》2010年
池田さんはこれまで多様な作品を作ってきましたね。これまでの制作活動に一貫したテーマや関心はありますか?
僕は学生時代、彫刻専攻に在籍していたのですが、最初のうちは特定のメッセージやテーマを持って制作していたわけではなく、工芸的な作業と構造の正確性や美しさにこだわって制作していました。
しかしその中で、大きな悩みが出て来ました。大学にいると自分が作った作品に対して、「なぜこのかたちを作ったのか?」と質問をされます。
それに対して僕も応えるのですが、作業自体をメインにしているときの作品の形に対して「なぜ?」という質問が向けられたとしても、
「この形が作りたかったからです」といった程度の言葉や、後付けの理由しか出てきませんでした。
つまり、僕がこれから作品を作っていくうえで、表現したことを誰かに見せるという美術の営みの中では筋が通ったものとして成長していかないと思ったのです。
その後、しばらく経ってから僕は記憶や感覚といった自分に内在しているものをテーマに制作をすることに決めました。
僕は外的な要素を表現の軸にはしていません。
作家さんの中には、社会的な問題や流行しているテーマをもとに作品を作る方もいますが、僕の興味はあくまで、日常において自分に内在しているものにあります。
こういう風な考え方は、自己中心的もしくは閉鎖的な考えに思われるかもしれません。
しかし制作を続けていく中で、内的で個人的なものであっても、他者と共有することができ、また社会に繋がる扉がわりと近くに在るのではないか、と思うようになりました。
たとえば2010年に作られた《mental picture》は、池田さん自身の身体感覚という極めて個人的な事柄をテーマにしていますよね。
そうですね。この作品では、自分自身が感じ頭の中でイメージしている自分の体のかたちを表現しようと思いました。
そのためにまず、客観と主観に着目しました。
客観とは、一般的には写真や動画などの外部のメディアによって記録された情報、つまり、ある対象が視覚によってのみ把握されている状態のことを指すと、
とりあえず定義できると思いますが、僕がこの作品で作ろうと思ったのは、そうした意味での身体の客観的なイメージではありません。
たとえば僕たちが耳かきをしているとき、耳かきの棒が耳にあたる音であったり、棒が耳に触れる時の触角であったり、今までの耳かきに関する経験といった、
さまざまな情報を同時に処理しています。そしてさまざまな情報が統合されることによって、頭の中には耳の穴の予測マップが出来上がっているはずです。
僕たちが自分自身の身体に対して覚えているイメージが、先ほど言った客観的に見たそれとは異なる形をしていてもおかしくはないとこのとき僕は考えました。
この作品で面白かったのは、こうやって表現したものを人に見せた時に「分かる」と言ってくれた人たちが数名いたことですね。
僕はこの作品のときに、自分自身が拠って立つ場所を見つけることができたように思います。
《passengers》2011年
《passengers》という作品は、平面作品ですね。この作品でも「自分に内在しているもの」をテーマに制作されたのですか?
この作品は、電車に乗っているときに見た、印象的だった人の姿を描いています。 たとえばドアの近くに立って鏡で自分の顔を何度も見ていた学生であったり、けばけばしい格好をした女性だったりを、です。 といっても、写実的なスケッチをしたわけでは全然なくて、その人から覚えた印象を、自分の身の回りにあるものや形を組み合わせ描き、その人の印象に近づけました。 顔の部分は文字になっています。文字はそれぞれに文字としての意味を持っていますが、その点はこの作品ではあまり重要ではありません。 文字をずっと眺めていると、ゲシュタルト崩壊がおきて、文字自体がただの図形に見えてくることがありますよね。 僕はそこに何かしらのキャラクターを感じる。誰に共感してもらえるのか分かりませんが…。 例えば「を」という文字は、僕にとっては自分の父親の顔や雰囲気を持っている印象があります。 そんな感じで、僕が電車の中で見た人にちかい印象を覚えさせる文字とフォントを探して、顔の部分に描きました。
fig3 《二人の未決着》2012年
そうした、人に対して抱く印象や、先ほど言われた自分自身の身体感覚などは、他人と共有しづらいものであるように思えます。 池田さんは他の作家とコラボレーションをされたこともありますが、感覚の共有もしくは共感については、どう考えていますか?
かつて京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAで開催されたグループ展『Colors of KCUA 2012 -通感-』に参加したとき、
共感がどういうものか、自分自身が経験することができればと考え、友人の壁画家、川田知志と一緒に作品を作りました。
彼とは普段から仲が良く、いつも他愛のない話をしているのですが、そうしたときに僕たちは共感できているような気がしていました。
たとえば僕は彼と喋るときに、「がーん、と思った」とか「気持ちがずーんとなった」というように、擬音語を使って話をしますが、そういう風に喋っていると自分の気持ちが彼に伝わっている気がしていたのです。
しかし実際に作品を一緒に作ってみると、同じイメージを抱いていたわけではないことが明らかになりました。それらの言葉を造形化してみようとすると、彼と僕とで予測とは違うかたちを作るわけです。
もっとも、単にイメージとか気持ちを造形化する際に違った造形が出てくるだけで、頭の中では、同じイメージや気持ちを共有できているかもしれません。
しかし、それを確かめる術はないですよね。僕たちは同じ気持ちや同じイメージを持っているかもしれないし、持っていないかもしれない。
それは分からない。この作品に《二人の未決着》というタイトルを付けたのも、そういう理由からです。
つまり、池田さんは、無理やりに人と同じ気持ちを持とうとしたり、人に自分の気持ちを分からせようとしたり、 あるいは逆に、同じ感覚になれないからもはや他人のことなんてどうでもよい、と思っているわけではない、と。
そうですね。世の中には、多くの人が「分かる」情報がありますよね。 たとえば、ある社会的な問題をテレビや新聞などで報道をすれば、それに対して賛成派か反対派に分かれると思います。 そしてその賛成派の人や反対派の人が自分たちの支持者を増やそうとするのなら、自分の意見を、分かりやすい表現で人に投げかけますよね。 僕が作品においてテーマにしているのは、人が理解しやすいように情報を加工するそうした行為とは、違っています。 かといって、僕が作品で扱うテーマや表現を、人が全く理解できないものだとは考えていません。 僕はこれまでお話してきたように、自分に内在する個人的な記憶や感覚をテーマにしていますが、 そうだからといって、僕の作品が社会や時代の流れとは切り離されているわけではなく、自分の体の生理現象や感情の揺らぎをテーマにしていたとしても、 まだ他人につながっているのではないか、自分のパーソナルな部分を表現したとしても他人や社会に理解をもとめることができるのではないか、と思っています。
《self portrait》2013年
なるほど。では、近作に話を進めましょう。2013年に発表された《self portrait》についてお話しいただけますか。この作品はタイトルにあるように、ご自身の姿を現したものなのでしょうか。
この作品を作る前に、大学の交換留学制度を使って、ロンドンに行きました。 海外に行くことによって、僕が作品のテーマとしている自分に内在する感覚を別の視点から見つめなすことができるのではないか、と思ったのです。 実際に行ってみると、自分自身への認識のかたちが変わったように感じました。日本にいれば、日本人である僕はマジョリティであって、外国人はマイノリティだと言われますよね。 しかしいろんな人種の人たちがいるロンドンで生活すると、身の回りの僕を含めた多くの人がマイノリティであるように見えました。 で、日本にいるときと同じように周りの人を観察し、そこから作品を作ろうと思ったときに、ふと自分が日本人で、黄色人種であることを忘れてしまっていて、 地下鉄の窓に映る自分の姿を見て、「あ、僕は日本人だった」とか「黄色人種だった」と思い出す出来事がありました。 また、それ以外にも言葉が不自由な国に行って、日本にいるときとは全然違う感情やストレスを感じることもありました。 そうした心の状況をもとに作ったのが、この作品です。もっとも、この作品は、自分が感じたことの再現ではありません。 自分が感じたことの集積だというほうが正しいでしょう。その瞬間のさまざまな感覚を、ひとつの空間として提示しようとしたのです。
では最後に、『未来の途中』展の出品作品について、説明いただけますか?
今回の展覧会には、日常生活の中で感じた一つの感情をテーマにしようと思っています。
具体的には、何か後悔していること脳裏に浮かんで、急に叫びだしたくなるようなこと(心の中ではすでに叫びだしている)ってありますよね。
最近はそうした突如来る感情の波と脳裏の事について考えています。
何かを叫びだしたくなる瞬間というのは、僕のイメージでは、何かのきっかけによって、目の前に唐突に自分が嫌なものが差し出されてくる感じに近いと思えるんですよ。
そこから逃れることのできないように自分が縛り付けられていて、見たくないものを見ざるを得ない、もがいている状況です。
言葉では表現しづらいですが、脳裏の様子を形容しようとすると、そこには質量とか距離感とか時間とか、つまり、空間を感じるのです。
今回は、脳裏にあるそうしたイメージを作品にしたいと考えています。
1985年
京都生まれ
2013年
京都市立芸術大学大学院美術研究科修士課程彫刻専攻修了
2009年
2010年
2011年
2012年
2013年