「未来の途中」展のご自身の展示を現時点から振り返ってみて、どう思われますか?
以前のインタビューでお応えした通り、私は、自分の絵とその絵が展示される空間の関係性に興味があります。それぞれの絵は、それが展示される壁面や空間から独立しているのではなく、影響を受けているという見方からこの展示の方法を選びました。木枠から外したキャンバスを壁に埋め込む方法は、その考えに依ります。
しかし、いまから考えてみると、モチーフを何にするかについては検討の余地があったように思います。あのときは自分が撮影した写真を二重にしてスライドプロジェクターで投影をして、その映像をキャンバスに写すことで描きました。自分が描いた絵を振り返ってみると、映像の全体を忠実に描こうとしているのではなく、部分や質感を抜き出して描いています。そうした絵の内容が、先に言った空間との関係性をめぐる問題にとって、相応しいものだったのか。その点に疑問があります。また、何枚も描いた絵の内から、どの絵が適当かを選ぶ基準も曖昧でした。
「未来の途中」展展示風景 《another shape_1》(撮影:林口哲也)
《another shape_1》部分(撮影:林口哲也)
「あれからの、未来の途中」展には、どのような作品を出品されますか?
次の展覧会では、いま言った絵の内容と空間の関係性を再考したいと思っています。絵と空間がそれぞれに自律し、両者が親和的な関係性を取ることが私の理想とするところです。しかし以前の作品は、絵の強度を減らしてでも壁に近づこうとしていたように思えます。そうしたあり方は、絵画の強度や求心力というものへの疑問から始まっていると思うのですが、いまはその次の段階として、そもそもどこに絵の強度や求心力を感じるのか、確認しています。
具体的には、一枚の梅の木の写真をモチーフにして絵を描いています。写真を絵画制作に用いるのは、一般には客観性を取り入れるためと言われていますが、私は、物体の輪郭を要素として使うのでも、色を決める際の基準としてでもなく、この写真をモチーフとして選びました。それは知人が趣味で撮りためた花の写真のうちの、梅の木の一部を切り取った一枚です。写真に写っていることをキャンバスに置き換えるとき、いくつかの情報が取こぼされて、一部の情報が増幅されているのを感じていて、その増幅されたモノを一枚ずつの絵にしようとおもいます。しかし一枚の絵にはたくさんのことが載せられないので、小さめのサイズ一枚の絵に対して一つの要素だけを描くように制作しています。この描くときの感覚は、以前の、写真を二重にしたものを描いたときの感覚と通じています。今後、どの絵を選んで展示するか、決める必要があるのですが、その決め手がまだないので、それを見つけるのがこれからの課題だと思います。
『急に親指が痛い』展(2011 年 8 月、海岸通ギャラリー・CASO)展示風景
中西さんは、絵画と呼ぶのがためらわれるような平面作品を作っていますね。たとえば2011年の『急に親指が痛い』という展覧会の出品作品は、絵画が空間にちらばっているようでした。
これまで私は絵画の構成要素をいったん解体し、その後、再構築しようと思って制作してきました。 個展『急に親指が痛い』では、模様を描いた紙を予め数種類用意しておいて、搬入の際にそれらを即興的に切り抜いていって、展示空間に合わせて並べていきました。 こういうやり方で展示をすると、同じ模様が空間の中に何度か出てくることになりますから、展示空間にリズムを作り出すことができるのではないか、と思ったのです。 つまり、大きな模様を解体し、再配置することで、空間全体に広がる絵として再構築することを目論んだのです。
実際にやってみて、どうでしたか?展覧会前に持っていた目論見は、うまくいったと思いますか?
このときは、解体することはできたにせよ、再構築に至っていないように思えます。 私はそれまで、絵画の中に描写される空間と展示空間を似たものとして捉えていました。 キャンバスに模様を配置するのと同じように、展示空間に模様を配置すれば、すぐに展示空間に絵画を作れると思っていたのです。 しかし実際にやってみると、両者は全く別物だということに気がつきました。 ギャラリー空間は一般的にホワイトキューブだと言われ、ニュートラルで真っ白な箱だと考えられていますよね。 でも、実際のギャラリー空間には配管や照明があったりするから、ニュートラルな空間ではありません。 固有の物質感を持っているわけです。そうした点が、絵画の中に描写される仮想的な空間とは決定的に違うのだと気づきました。
京都市立芸術大学作品展(2013 年 2 月)展示風景
つまり、絵画と展示空間の関係性に意識が向いたということですね。 そうした意識は、2013年2月に発表された《無題》にもつながっていますか? あの作品は、絵画が壁に埋まっているかのようでした。
そうですね。《無題》では、絵画と壁の距離をなくしたいと思っていました。 一般的な展覧会では、作品は壁にかかっていて、鑑賞者は会場に入ると、作品を見て、少し歩みを進めて次の作品を見るというかたちで作品を見ていきます。 そういった鑑賞方法は、私には、ぼこぼことした道を歩く行為に似ているように思えました。 私がキャンバスを壁に埋めたのは、そうすることで滑らかな道を歩むような鑑賞体験を作り出せるのではないかと考えたからです。 作品を見て、壁を見て、また作品を見るというのではなくて、同じ壁の中にいくつかの作品が塗りこめられていれば、壁伝いに視線を移していくことができますから、 作品ごとの落差や、作品と壁との落差が小さく、するっと作品の中に入っていけるのではないか、と考えたのです。
《無題》2013 年
そのキャンバスには、まるで壁紙の一部から切り抜かれたような模様が描かれていましたよね。
モチーフは、遺跡のレリーフを剥がしてきたようなもの、額縁飾りのようにパターンを四辺に沿わせて配置したもの、キャンバスの四辺や四隅をつなぐ直線、などです。 すべてキャンバスの四角さを意識して、思い浮かべたものです。私はそれらを凹凸があるように描いて、キャンバスの上に虚構的な厚みを作りだそうと思いました。
つまり《無題》では、展示される壁と絵画の新たな関係性を探るために、壁に埋め込まれたキャンバスに「虚構的な厚み」を作り出した、と。
そうですね。私が関心を抱いている絵画と壁との関係性とは親和性、両者の「親しさ」です。 一般的には、絵画は壁から自立していて、どの壁に展示しても作品のかたちは変わることがありません。 しかし《無題》ではキャンバスの縁をパテで塗り込めるわけですから、この作品のアウトラインは、パテの塗り方によって変化します。 一方で壁もまた、キャンバスからはみ出たパテやその上から塗られた絵の具によって変化が生じます。こういう風に《無題》では、絵画と壁とが互いに依存した関係性になっていると言えると思います。
『現代アートのナゼ?』(2013年8月・9月)展示風景
では、一番最近の作品に話を進めましょう。最近の作品では、絵画と壁との関係性をどう扱っていますか?
私は最近、スライドプロジェクターで写真を壁面に投影し、壁面に映し出されたイメージをドローイングすることで作品を制作しています。
そうやって作った平面作品を、2013年の8月から9月にかけて和歌山県のMsギャラリー12番丁で開催されたグループ展『現代アートのナゼ?』に出品しました。
スライドプロジェクターで壁に投影すると、投影された写真が壁の中に染みこんでいって、支持体である壁とそこに投影されているイメージとがぴったりと一致しているようなのです。
そういう意味では、この作品もこれまでお話ししてきた作品の延長線上にあります。
また、スライドプロジェクターで写真を投影すると、思い通りに描くことができず、その点にも惹かれていたりします。
以前、写真を見ながら描く方法を採ったことがありましたが、紙焼きした写真には四隅がしっかりありますよね。
だから、写真を見ていると、その中に仮想的な座標軸を見て取ることができ、水平性や垂直性をわりと簡単に作ることができます。
一方、スライドプロジェクターではぼんやりと投影されますから、イメージを明確に整理されたかたちで見てとることが難しくなります。だから、思い通りに描くことができないのです。
スライドプロジェクターでは、どのような写真を投影していたのですか?
そのときは、自分で撮った写真をスライド映写用にマウント加工し、二枚重ねにしたものを投影しました。 プロジェクターには、ふつう一枚しか写真は入れませんよね。 一枚の写真を投影すると、イメージはそれぞれに立体感をもっていたり、陰影をもっていたりします。 しかし二枚重ねて投影すれば、そうした立体感や陰影はなくなり、「これが車だ」とか「これは人だ」といったような個々の判別は、難しくなります。 私がいま描きたいと思っているのは、そうした「ぐちゃ」っとしたイメージなのです。
『未来の途中』展には、どのような作品を展示される予定ですか?
いまお話したスライドプロジェクターを使って制作する作品シリーズの新作を、出品します。
Msギャラリー12番丁のときは、投影したイメージを画用紙に鉛筆、色鉛筆、水彩絵具を使って描きました。
今回は、キャンバスと油絵具を使おうと思っています。
私はこれまで、画材やキャンバスのサイズ・素材、絵に描かれるモチーフや絵の展示方法といった、絵画の構成要素のいったんばらばらにして、それを組み合わせることで作品を作ってきました。
今回の展覧会では、6号から60号までのさまざまなサイズのキャンバスに、油絵具を使って絵を描いています。
それを《無題》と同じように、キャンバスをパテで埋めて展示します。
京都工芸繊維大学美術工芸資料館の壁に展示すると、私の作品はどうなるのか。つまり私の作品と展示空間とが、どういう関係性をとることになるのか。
いまの時点では想像はできませんが、いずれにせよ私の想像を超えたかたちで、作品が立ち現れてくることを期待しながら準備をしています。
1986年
和歌山県生まれ
2013年
京都市立芸術大学大学院修士課程絵画専攻油画 修了
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
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