《ブリブリダンス、八岐の浮き園に》2010年
これまでジュリーさんは、様々な素材や技法を用いて作品を作って来ましたよね。ご自身の作品には、どういう共通点があると思いますか?
私が自分自身のキーワードとして制作ノートに記した言葉には、以下のようなものがあります。
すなわち、浸食、蓄積、分解、時間、即興、偶然、層、肌、壁、膜、乗り物、 成長するパターン、パレルゴンとエルゴン、パラドックス、コミュニケーションにおける関係性など。
こうしたキーワードをもとに、私は、空間のこと、境界/バリアのこと、社会や自然の中にあるフィルターのことなど、さまざまなテーマについて新しい考えを作ろうとしてきました。
またコンセプトを頭で考えるだけではなくて、物と向き合うことも、私の制作にとっては重要です。
物は様々な情報を持っていますから、あらためて物をじっくりと見つめると、自然や文化のこと、さらには物が「存在する」とはどういうことなのか、分かるような気がします。
《In the Age of Styrene and Glue》2006年
では、いまおっしゃっていただいたキーワードを踏まえつつ、ジュリーさんのこれまでの作品を振り返ってみたいと思います。 最初に、日本に来るまでの簡単な略歴を教えてもらえますか?
私はアメリカのコネチカット州の出身で、ロードアイランド・スクール・オブ・デザインに通い、美術とデザインの勉強をしました。
学部3年生のときから彫刻作品を作りはじめ、卒業制作では、大学のそばの浜辺からゴミを拾ってきてインスタレーションを制作しました。
ゴミは、浜辺に打ち捨てられているわけですから、当然劣化しているのですが、しかし別の何かに向かって成長しているようにも見えました。
そこで私は、ゴミが世界の片隅で人知れず成長していっているかのようなイメージを抱かせる作品を制作しました。
日本に来たのは、大学を卒業した後のことです。2006年ですね。
京都精華大学に研究生として在籍し、そのあと修士課程を経て、昨年度末に博士号を取得しました。
《無題》2008年
日本に来て最初に開催した個展は、紙を素材としたものでしたね。
2008年にギャラリーギャラリーで開催した展覧会ですね。 この展覧会の主な出品作品は、線香につけた火で和紙を燃やしていくことによって造形したものです。 厚い紙を使っているのではないので、線香の火を押しつけると燃えて穴が開きます。 燃えて無くなることは紙にとって「死」であるのですが、一方で、紙には穴が開きます。 その穴によって、紙は呼吸できるようになるわけで、新たな「生」を得ていると言えるとも思います。 先ほど言ったゴミを用いた卒業制作の作品と同じように、この作品も「生」と「死」という両義性を持っています。
《ブリブリダンス、八岐の浮き園に》2010年
近年はシールを使って作品を作っていらっしゃいますよね。
そうですね。たとえば《ブリブリダンス、八岐の浮き園に》という作品では、小さなカラーシールを貼り重ねていき、シールが無限に成長して行っているような動きを表現しました。
カラーシールのひとつひとつによって時間の中のある瞬間が表され、シールの連続には、時間の流れが表れています。
また、どのようにシールを貼っていったのか、私自身の選択の痕跡も見て取れると思います。
《ブリブリダンス、八岐の浮き園に》というタイトルは、変な日本語ですが、「ブリブリダンス」という部分は友人がつけてくれた言葉で、
「八岐の浮き園に」の部分は、ルイス・ボルヘスの小説『The Garden of Forking Paths/八岐の園』から取りました。
ボルヘスはその小説の中で「無限の時間の迷路」を扱っているのですが、この作品でも、シールによって表されている複数の時間がとどまることなく流れ続け、枝分かれしたり重なり合ったりしています。
「シール」展 展示風景、2012年
シールの作品は、そこからさらに展開をしましたよね。2012年の12月に開催したGallery Ort Projectでの「シール」展について説明いただけますか。
《ブリブリダンス、八岐の浮き園に》では、シールの造形的な面に意識が向いていて、その機能については、あまり考えていませんでした。
しかしシールを手にすると、みんな何かに貼りたいと感じますよね。
そうやってシールの「貼る」とい機能を考えていくと、そもそもシールは何かに貼られるため、つまり、何か別のために存在していると気がつきました。
そこで私は、ジャック・デリダのエルゴン/パレルゴンをめぐる議論を援用して、シールの機能について考えました。
デリダの言う「パレルゴン」とは、簡単に言えば、絵画の額縁のようなあり方で存在するもののことです。
額縁は絵画作品にとって本質的な部分ではないと考えられていますが、しかし額縁があることによって、どこまでが絵画の内部か、分かりますよね。
つまり非本質的な部分が本質を枠付けているのです。パレルゴンとは、そのような仕方で本質を規定しているもののことです。私は、シールもまたパレルゴンではないかと考えました。
「シール」展のDM
英語のsealと日本語のシールは意味が違っていて、英語では本来「印章」を指すのに対して、日本では「糊付きの紙」を指しますよね。 しかしどちらにせよ、シールは何かに添えられるものでありながら、その何かの真正性を保証したり、本質を表象したりする機能を持っています。 書類に押される印鑑とか、製品の品質を示すために貼られるシールとか。
はい、そうですね。「シール」展では、シールの機能的な側面に焦点を当てました。
具体的には、古代から現代に至るまでの印章のレプリカを作って考古学博物館のように展示する《シール・ミュージアム》という作品や、
文房具屋に売っているシールを、現在のアルファベット以前の古代文字のように貼った作品を展示しました。
またこの展覧会では、案内状をふだんとは違うかたちで作りました。
ギャラリーで開催される展覧会の案内状はポストカードで作るというのが一般的だと思いますが、私は、昔の形式を借りて作りました。
つまり案内状を封筒で作って、そこにかつて実際に使われていた印章から着想を得たシーリングワックスを押したのです。
こうすることで展覧会の案内状が持つパレルゴン的機能を強調できるのではないかと思いました。
案内状は展覧会にとって付随的な意味しか持ちませんが、しかし案内状がなければ展覧会の情報は知ることができません。
展覧会場の情報を知ることができないのなら、その人にとって、展覧会は存在していないに等しいことになります。
こんな風に、案内状という非本質的なものが、展覧会という本質を枠付けていると言えるのではないか、と考えました。
つまり、案内状は展覧会を成立させるための必要不可欠なパレルゴンです。
私は、その案内状を受け取った人たちに、「封を切る」という体験をして欲しかったです。
そのときの案内状に押したシーリングワックスは、現在の私たちから見れば立派なものに見えますから、シーリングワックスを切ることに少なからず抵抗感を覚えると思います。
しかし封を開けなければ、展覧会の情報を知ることはできません。シールというパレルゴンとか関わらないと、本質にはたどり着けない。私は人々にそういう体験をして欲しいと思いました。
このように「シール」展では、シールをモチーフにしつつ、人々のコミュニケーションをめぐる問題も扱っていました。
「未来の途中」展には、どのような作品を出品されますか?
いまお話した「シール」展のコンセプトを発展させ作った新作を展示します。
例えば、中世に作られた文書のレプリカを出品する予定です。
その文書は、羊皮紙に書かれた文書とその周りに付けられた、シーリングワックスのようなシール17個によって構成されています。
これは、いまの私たちからすれば、かたちとしても不思議ですが、シールの機能を考える上でも、とても興味深いです。
というのも、おそらくその17つのシールによって、その文書が本物だと証明され、権威づけられたからです。
また、「シール」展のときに出品した、シールによって古代文字をかたどったかのような作品の新作も出品します。
いま私たちが使っているアルファベットは、歴史的に見ればある時期に成立したものです。
つまり、古代文字がちょっとずつ変化していき、そしてある時期にいまの私たちが知っているアルファベットとして、確定しました。
今回、シールで作るテキストは、アルファベットへと向かって変化しつつある古代文字を表しています。
私はその古代文字の作品を、《シール・パリンプセスト》と名づけました。「パリンプセスト」とは羊皮紙のことです。
先にお話した、シールが17個ついた文書もまた、羊皮紙に書かれたものだったわけですが、かつて羊皮紙には文章が書かれ、そして表面が削られることで、その文章を消すことができたそうですね。
私の《シール・パリンプセスト》は、かたちを様々に変えていった文字の歴史と、羊皮紙の上でテキストが書かれ消されていったという事実を重ね合わせたものです。
このように、今回の展覧会でもオブジェとして作るシールのレプリカと、テキストとして壁に貼られるシールのテキストとが、互いに響きあう展示を作りたいと思っています。
1982年
アメリカ生まれ
2005年
ロードアイランド造形大学(RISD)芸術学部テキスタイル専攻科卒業
2013年
京都精華大学大学院芸術研究科博士後期課程修了
2008年
個展、ギャラリーギャラリー(京都)
2009年
個展、ギャラリーギャラリー(京都)
2013年
「シール展」Gallery Ort Project(京都)
2008年
2011年