京都工芸繊維大学美術工芸資料館

京都工芸繊維大学

京都・大学ミュージアム連携

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Kyoto Institute of Technology

「大学美術館を活用した美術工芸分野新人アーティスト育成プロジェクト」

神馬啓佑/JINBA Keisuke

◎インタビュー

【2014年】

「未来の途中」展の出品作品を現時点から振り返ってみて、どう思われますか?

「未来の途中」の出品作品には、《わずかに前進する。結果後退する。》というタイトルをつけました。僕は物事を考える時、2つの考え方をします。ひとつは、出来事やモノなどの物質的な体験や感触を重視する考え方で、それはいわば「体で理解する方法」です。もうひとつは、出来事の背景や物の名前など、言語で記述される側面を重視する考え方で、それは「頭で理解する」方法です。自分が何かを考えているときのことを思い出すと、僕はこれらふたつの方法のうちのどちらかの方法を選んでいることに気づきます。「わずかに前進する。結果後退する。」は、僕のそうした考え方を表した言葉です。

わずかに前進する。結果、後退する

「未来の途中」展展示風景 《わずかに前進する。結果、後退する》(撮影:林口哲也)

作品は、3つの要素から成っていて、それらが膨張していくような感覚で広がっていき、最終的にはいろいろな物を並べるかたちになりました。
1つ目の要素は、「眺めている物と、その時自分が考えていることの乖離」についてです。《わずかに前進する。結果後退する。》を作る前、自分がかつて書いたメモに「2つのクッション」という言葉があるのを見つけました。僕はそのメモをもとにして自分の持っていたふたつのクッションを組み合わせて、防空頭巾を作りました。「これは、2つのクッションだ」といった言葉としての理解がある上で、自分が作った防空頭巾を眺めるのは、とても不思議な体験でした。この時、「眺める自分」と「作る自分」は、別にいるというような感覚になり、その感覚をもとに、眺めるものとしてスコープを作り、スコープの窓の部分に two cushionと書いて防空頭巾の方に向けました。モノとそれを眺める自分の乖離をそのまま作品として作ったのです。

わずかに前進する。結果、後退する

《わずかに前進する。結果、後退する》部分(撮影:林口哲也)

2つ目は、「自分に触れるということ」です。かつて子どもの時に自分の右手と左手を合わせ、両方の手の指先を触る遊びが流行りました。この遊びをしていると、自分自身の手を触れているのにも関わらず、自分の指ではない感覚になります。僕にはそれがとても面白く、その行為を撮影した映像作品と、そしてその際の感覚をもとにしてカーペットによって作品を作りました。カーペットの作品は、2色のカーペットで構成されていて、左右対称になるように作りました。左右とも同じ模様なのですが、色の順番が違います。つまりこのカーペットは、同じ形だけど別物であるような、そういうものとして作りました。自分が自分に触れる時、同時に自分は触れられている。そんな曖昧な感覚をかたちにしようと思ったのです。

わずかに前進する。結果、後退する

《わずかに前進する。結果、後退する》部分(撮影:林口哲也)

3つ目は、「描くこと」です。ここで言う「描く」は、広い意味を持っています。筆を持って絵を描く行為も含みますが、何か思い描くことも含みます。人が何かを考えているとき、文字や概念だけで考えているのではなく、絵やイメージによって考えることもあると思います。《わずかに前進する。結果後退する。》の中では、僕がキャンバスに触れている映像を上映していました。その映像の中で僕は、何も描いていないキャンバスを手で擦っていましたが、僕が手で触れていたそのキャンバスの裏側には絵の具が塗られていて、触れたところが転写される仕組みになっていました。ここでは、自分が思い描くことを絵にしようと思ったのです。

わずかに前進する。結果、後退する

《わずかに前進する。結果、後退する》部分(撮影:林口哲也)

《わずかに前進する。結果後退する。》はこれら3つの要素から成り立つインスタレーションです。これらは何かを考え、迷っている、まさにそのときの思考にかたちを与えようとする実践でした。その思考方法は、ぼくの根本にある思考方法であり、この作品ではその思考方法のデッサンのようなものがかたちにできたのではないか、と思っています。

「あれからの、未来の途中」展にはどのような作品を出品されますか?

いろいろなことをしてきた今、「絵を描くこと」や「作品を作ることに立ち返りたい」という気持ちが強くなっています。これまで僕は、「作品制作のために生活をする」という生活スタイルが癖になっていて、今はその癖を直す努力をしています。何かを作るために生活をするのではなく、生活の中で自分は何に反応し心を動かされているのか、改めて確認してみようと思ったのです。そういう風に意識することは、「良いもの」というよりも「確かなもの」を作ることに繋がると思います。
 そもそも、旅行先で撮影した写真やビデオや自分が本当に気に入って買った物、あるいは単純に描きたいと思って描いた絵など、意味を求めず何かに突き動かされた結果として残った物や作品は、僕の中でとても「強い」物になることが多いです。その「強い」という感覚は言葉ではうまく説明できませんが、僕が作品を作るときに重視してきた実感や感触は、そこでの「強さ」と似ているような気がします。
 その「強さ」をもとに制作をすることが、今回のテーマです。具体的には、一度は心を動かされて残したものだけど、すぐに見なくなってしまった物事を取りあげ、その物事がかつて持っていた「強さ」を絵や作品で再現することは可能なのか、と考えています。人の心を動かす物事があって、そうした物事を再現した作品によって人の心を動かそうと試みることは、芸術史においてはありきたりなものなのかもしれませんが、しかし今僕が取り組んでいるのは、そのようなことであり、それはとても難しい目標だと考えています。

【2013年】

《野生と思考》2012年

これまで神馬さんは、ペインティングや写真、あるいはインスタレーションなど多様な形式の作品を作ってこられましたよね。 それらは、全てつながっているのですか?それとも、その時々の個別な関心にもとづいて制作されているのですか?

僕は自分がどういうコンセプトで作品を作ろうとしているのか、あらかじめ明確に把握しているわけではありません。 自分が作りたいと思ったものを作り、あとから振り返ってみたら、自分が持っていたコンセプトや関心に気がつく、といった感じでしょうか。
ですので、これまで僕が作ったさまざまな形式の作品についても、あらかじめ明確なコンセプトを掲げて、そのコンセプトのもとでバリエーションを作っていったわけではありません。 しかし、現時点で振り返ってみると、興味の対象は一貫しています。その意味で、作品の見かけはさまざまに違っているにせよ、全部の作品はつながっているように思います。

その興味の対象とは、具体的に何でしょうか?

たとえば、僕は2010年に『BodyとLanguage』(Gallery Raku)という個展を開催しました。 あるいは2012年に広島で開催されたグループ展『ヒロシマオー』の出品作品には、《issue&someways(home moving)》というタイトルをつけ、 同じ年に大阪で開催されたグループ展『Art Court Frontier 2012 #10』の出品作品には《野生と思考》というタイトルをつけました。 これらのタイトルがすべて「と」や「&」で結ばれているように、僕はひとつの物事と、別の物事の間にある壁に興味があります。 「言葉と体」、「問題とさまざまな方法」、「野生と思考」など、僕の作品は、ふたつの物事や概念の間に成立しているといえると思います。

《tabula》 2011年

つまり神馬さんのこれまでの作品は、「ふたつの物事の間にある壁」というテーマのもとで展開してきたと言えるわけですね。 では、具体的に作品がどう展開してきたのか、お話いただけますか?

それでは、自分自身の興味の所在が「ふたつの物事の間にある壁」にあると気づくきっかけとなった、ペインティングの話からはじめたいと思います。
僕は大学時代、洋画科に在籍していたのですが、そこでエッフェル塔についての話を聞いたことがありました。 すなわち、エッフェル塔が1889年に完成したとき、パリの街はエッフェル塔の上から眺められるようになった、と。 その話を聞いて、僕は興味を惹かれたんですよ。また、エッフェル塔ができてから20年ほど後に、パリでキュビズムという芸術動向が隆盛しますよね。 キュビズムとは簡単に言えば、いろいろな角度から見た物のかたちをひとつの平面上にまとめるものですが、こうしたキュビズムにも興味を惹かれました。 つまり、エッフェル塔によってパリの街がいろんな視点から眺められるようになり、美術においてはキュビズムが物をいろんな角度から見て描くようになった。 そのいろんな視点の中で、パリのイメージはできあがったし、キュビズムの絵画はできあがった、とまとめることができるでしょう。
で、絵画を制作するにあたって、僕は、いろんな視点によって絵画は成立するという考え方が、しっくりきました。 言い換えれば、ある視点で捉えられた現実と、別の視点で捉えられた現実があり、その間に絵画という虚構は成立するのだ、という考えが、自分の中で腑に落ちたんですよ。

なるほど。ところで、神馬さんの絵画作品は、多様な色とかたちが複雑に重なりあっていますが、どのように制作されていくのですか?あらかじめ完成図をイメージされているのでしょうか?

あらかじめ完成図をイメージしているわけではなく、かたちと色とテクスチャーなどを随時キャンバスに配置していくことで描いていきます。 またその際、単に絵具をキャンバスの上に足していくだけではなく、自分で作った道具などで引っかいて、絵具をキャンバスから消す作業もやっていきます。
こうした僕の制作方法は、会話に似ていると思います。絵具を足す行為が言葉を発する行為に、絵具を消す行為が言葉を聴く行為に、それぞれなぞらえることができるでしょう。 会話が話す行為と聞く行為の間に成立するのと同じように、僕の作品も足す行為と消す行為の間に成立するわけです。

《幽霊、しゃべる》 2012年

そうやって作られる絵画作品は、「ふたつの物事の間にある壁」という言葉に相応しいですね。 ところで、神馬さんは写真作品も作られていますよね。 写真にはひとつの現実しか写らないような気がして、神馬さんの言う「ふたつの物事の間の壁」という言葉には相応しくないように思えるのですが、いかがでしょうか。

2012年に制作したインスタレーション《幽霊、しゃべる》の一部に使った写真を例にして、説明しましょう。 この写真には、夜景が映っているだけだから、夜景というひとつの現実を写したもののように思えると思います。 しかし僕の意図としては、まったく別のところにあります。この写真でやりたかったのは、いわば念写です。僕は、自分の中の頭の中を念写しようと思いました。
たとえば僕たちは、思い出話をするとき、かつて自分が見た風景を思い出しますよね。 そういうとき、自分は「いま・ここ」にいて、自分の目はどこかを見ているのだけど、でも意識としては「かつて・あの場所」を見ていると思います。 僕がこの写真で撮ろうと試みたのは、そういった頭の中にある風景です。もちろん、人の頭の中にある風景を写真に取ることはできません。 だから、念者をするしかないわけです。 実際には何も映るわけではないのですけど、ともかくそうやって、自分が見ている風景と自分自身の間にある、想像上の風景を写真に撮ろうと思ったわけです。

anoare♯8

《gerbera flower bookends file 3girls another office work window fan is titled to the left》 2012年

その『幽霊、しゃべる』というインスタレーションには、写真やペインティングのほかに、文字を使った作品もありましたよね。 あの作品は、インスタレーションの中にあるものを説明するものだったのでしょうか?

いえ、同じ空間の中にあるものを説明するものではなくて、空間の外にあるものを説明するものです。 そもそもあの作品にある「ガーベラの花」とか「3人の女の子」とか「窓」といった単語は、僕がかつて見た風景の中に存在していたものです。 もちろん、いまの僕の目の前には、ガーベラの花もなければ、3人の女の子もいません。 しかし世界のどこかには、それらは存在しているはずです。つまり僕はこの作品で、そういった外の世界のどこかにある物についてのキャプションを作ったわけです。 さきほどお話していた「ふたつの物事の間にある壁」という言葉に引き寄せて言うのなら、 この作品は、いまの僕が立っているこの場所と、世界のどこかに存在する物の間に成立している、と言えるでしょう。

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《幻想的廃材》 2013年

それでは近作に話をすすめましょう。最近では作品の形式はさらに広がり、雑誌状の作品を作ったりされていますね。

そうですね。2013年の夏に瀬戸内海にある豊島という島で開催されたグループ展『TESHIMA MEETING art in katayama-tei』に参加した際に、《幻想的廃材》という雑誌状の作品を作りました。 僕たちは作品を展示するために豊島に行ったわけですが、豊島には当然ずっとそこに住んでいる人たちがいて、そういう人たちと僕たちとのリアリティは全然違っているだろうと思ったんですよ。 そこでどうやって豊島の人たちが持つリアリティに介入していこうかと考えた時に、僕が豊島に存在する風景の一部を写真で切り取って、そこにテキストや単語を重ね合わせて、雑誌を作ろうと思いました。 そしてその雑誌を、豊島の人たちに見てもらおう、と。つまり、豊島の人たちが持つ豊島イメージと実際の島との間に、外部の人間である僕が作品を差し挟んだ、というわけです。

『未来の途中』展には、どのような作品を出品される予定ですか?

先ほどお話をした《gerbera flower bookends file 3girls another office work window fan is titled to the left》では、メモを使って作品を作りましたよね。 それと同じように『未来の途中』展でも、メモをもとにして作品を作ろうと思っています。 といっても、以前と同じようにキャプションにするのではなく、メモに書いてあった言葉を少し飛躍させて実際の物に置き換えます。 たとえばいま手元にあるメモの中には「2つのクッション」という言葉があるのですが、調べてみると第二次世界大戦中にふたつの座布団を組み合わせ、防空頭巾を作っていたことが分かりました。 そういう具合に、「2つのクッション」という言葉を「戦時中の防空頭巾」にまで飛躍させて、造形化します。
実はこの作品シリーズはすでに制作しており、2013年11月にHOTEL ANTEROOM KYOTOのGALLERY9.5で開催されたグループ展『AT PAPER. EXHIBITION “09″』に出品しました。 作ってみて、「物が〈こと〉の状態に変わった」という不思議な感覚を覚えました。 クッションにしろタオルにしろ、僕たちはそれらを、そのものとして認識していますよね。 クッションはクッションであって、それ以外の何かではないわけです。 しかしクッションを防空頭巾へ飛躍させるような作業をすると、目の前にある物がそのものとして固定されるのではなく、再び別のものへと変わっていくような感覚を覚えるわけです。 クッションが防空頭巾になり、そして防空頭巾がまた何かへと変わるかもしれない、という感覚を覚える、といった感じですね。 『未来の途中』展には、そうした作品シリーズの新作を出品しようと考えています。

◎プロフィール

経歴

1985年

愛知県生まれ

2011年

京都造形芸術大学大学院芸術研究科芸術表現専攻 修了

個展

2010年

  • 「神馬 啓佑展」2kw gallery(大阪)
  • 「bodyとlanguage」gallery raku(京都)
  • 「tabula」island medium(東京)
主なグループ展

2008年

  • 「世界展」京都市美術館(京都)
  • 「rainbows」海岸通ギャラリーcaso(大阪)
  • 「amuse art jam」 京都文化博物館(京都)
  • 「art univ.2008」 キャンパスプラザ京都(京都)
  • 「artzone selection」 art project room ARTZONE(京都)

2009年

  • 「ミツツ -観察による可能性-」 art project room ARTZONE(京都)
  • 「アートアワードトーキョー丸の内2009」 行幸地下ギャラリー(東京)
  • 「混沌から躍り出る星たち2009」 スパイラルガーデン(東京)
  • 「tourbilion Z」 o gallery eyes (大阪)

2010年

  • 「G‐TOKYO 2010」 森アーツセンターギャラリー(東京)
  • 「power of a painting」 island(千葉)
  • 「SPRUT」 gallery aube (京都)
  • 「美術の宿題」 小野町デパート (和歌山)
  • 「わくわくkyoto プロジェクト」旧立誠小学校 (京都)
  • 「trans-plex」 Tokyo wonder site hongo (東京)
  • 「NIPPON ART NEXT」京都造形芸術大学・東北芸術工科大学外苑キャンパス (京都)
  • 「open/island」3331 arts chiyoda 203 号室(東京)
  • 「painting in question」gallery 16 (京都)

2011年

  • 「渾變台日交流展 trans-plex」 關渡美術館 (台北)
  • 「修了制作展」京都造形芸術大学 (京都)
  • 「ultra award 2011」art project room ARTZONE(京都)

2012年

  • 「kiss the heart」日本橋三越 (東京)
  • 「ヒロシマオー」旧日本銀行 (広島)
  • 「anteroom project」hotel anteroom (京都)
  • 「art court frontier」art court gallery (大阪)
  • 「drawing lesson」gallery aube(京都)