京都工芸繊維大学美術工芸資料館

京都工芸繊維大学

京都・大学ミュージアム連携

©Museum and Archives,
Kyoto Institute of Technology

所蔵品|collection

  • 浅井忠

    ASAI Chu(1856-1907)

    《武士山狩図》

    Warrior Hunting Scene

    1905年 AN.3279 1,340x1,950m/m


  • 浅井忠

    ASAI Chu(1856-1907)

    《梅図花生》

    Vase with Plum Blossoms

    1902-1907年 AN.3283 376x216m/m


  • アンリドトゥールーズ=ロートレック

    TOULOUSE-LAUTREC, Henri de(1864-1901)

    《ディヴァン・ジャポネ》

    Divan Japonais

    1892年 AN.4816  790x590m/m


コレクションについて

京都工芸繊維大学は、その前身、京都高等工芸学校を母体の一つとしています。 高等工芸学校創立(1902年、明治35年)時から収集されてきた 美術工芸資料(当初は染織標本、機織標本、そして図案標本として購入、分類されていた)は 附属図書館所蔵標本類として取り扱われていた時期もありますが、 1980(昭和55)年4月に学内共同教育研究施設として美術工芸資料館の設立を機に、 それらの館所蔵の美術工芸資料は研究対象として、また教材として保存、展示されることになり、現在に至っています。 京都高等工芸学校の創設の由来は「美術及学理ヲ応用スヘキ工芸即チ染織、陶磁、漆等、ノ技術ヲ練習セシムル学校」を、 「国費ヲ以テ此種ノ学校ヲ美術工芸ノ最モ盛ナル地即チ京都ニ設立スルノ急務ナルヲ認メ(云々)」という、 1899(明治32)年2月24日付の貴族院建議案にまで遡り、 文部省は第三高等工業学校という仮称の下に設立の準備に着手しました。 校名については、その設立の精神に鑑み、所設の学科(色染、機織、図案の三学科)が美術工芸に関するものであることから、 京都高等工芸学校と称することになり、文部省直轄学校の一つに加えられました。 1902(明治35)年のことです。
同校設立委員の一人であり、また初代校長をつとめた京都帝国大学理工科大学教授中沢岩太は、 折しも1900(明治33)年にパリで開催される万国博への出品調査のために渡欧中でしたが、 各地の実業学校を視察するとともに、パリに留学していた東京美術学校教授浅井忠 に会い、 京都への赴任の内諾を取り付け、美術工芸教育のための教材や標本の収集をも要請しました。
一方、図案科創設準備委員として東京帝国大学工科大学助教授武田五一も図案学研究のため、 英・仏・独へ3ヶ年の留学(1901〜1903)を命ぜられていましたが、 高等工芸学校の開校が予定より一年早められたので武田の留学も二年で切りあげられました。 武田五一、浅井忠といった巨星を擁して、1902(明治35)年に京都高等工芸学校はその美術工芸教育の授業を開始したのです。 ヨーロッパにおける新しいデザインの動向を展望し、はじめて本格的なデザイン教育が本校において開始されました。 これはW.グロピウスのバウハウスの開設より17年早い発足であったことが注目されます。 浅井、武田はすでに渡欧中から教授就任が約束されており、デザイン教育の教材収集にも着手していたようです。 分野は絵画、彫刻、金工、漆工、陶磁器、繊維品、考古品等多岐にわたっています。 しかもこれらは何れも、デザイン教育の教材に役立てることを目的に集められたもので、 美術品、工芸品としての名品であることを条件としていなかった点に収集内容の特色があります。 例えば意匠に見所あるものは多少傷があっても取り上げるという収集の姿勢が認められます。 そうした収集品のなかでまず注目されるているものに、浅井忠の「武士山狩図下絵」があります。 これは浅井が東宮御所の壁掛の下絵(実物の2分の1)として制作したものです。 これに関する一連の習作群は、制作の過程を知りうる貴重な資料となっています。 浅井は、パリで図案教育に必要な教材を調達する中で、当世流行の広告図(ポスター)を収集して帰国、 武田は主としてドイツ語圏のポスターを持って帰りました。
美術工芸資料館以前に2件94点の寄贈を加え、これらがポスター・コレクションの出発となりました。 開館後の1985年には約650点の第一次世界大戦期欧米ポスターを加え、少しは其世界に知られるようにもなり、 現在ポスターコレクションの充実には一層の関心を払っている処であります。 また、19世紀末から20世紀前半にかけてのポスターコレクション、江戸中期から末期にかけての疋田絞による大胆な意匠の打掛など、 特に注目されている資料も少なくありません。
最近では建築家村野藤吾の戦前のオリジナル・ドローイングを含めた建築図面を収集することになり、 未整理分を含め、この方面での整理調査が教育・研究上の成果を生み出すことを約束してくれているようにも思われます。


ポスターコレクション・カレンダー(2014年度版)掲載作品

  • ミュシャ、アルフォンス MUCHA, Alphonse(1860-1939)

    《椿姫》

    LA DAME AUX CAMELIAS

    1896年 AN.3274  2,025x700m/m

    アール・ヌーヴォーを代表するデザイナーで日本でも高い人気を誇るミュシャの代表作。 サラ・ベルナール主演の『椿姫』公演告知ポスターです。 縦長の画面に優美な姿で描かれる女優ベルナールの背後には、銀色に輝く星々が散りばめられ、幻想的な雰囲気を漂わせています。

    *1月掲載


  • ボナール、ピエール BONNARD, Pierre(1867-1947)

    《ラ・ルヴュ・ブランシュ》

    LA REVUE BLANCHE

    1894年 AN.4622  791x613m/m

    ナビ派の画家ピエール・ボナールがデザインした月刊文芸誌『ラ・ルヴュ・ブランシュ』の広告ポスター。 毛皮をまとった女性を中心に世紀末有りの情景が平板な色彩の重なりとして表現されています。 雑誌名の文字の処理も面白く、冠詞であるlaのaの文字は女性の腿に巻き付いているかのようです。

    *2月掲載


  • ミュッラー MUELLER

    《サダ・ヤッコ》

    SADA YACCO

    1899/1900年 AN.2679-31 2,190x765m/m

    19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを席巻した川上音次郎一座の看板女優貞奴を描いたポスター。 日本初の女優とも言われる貞奴は、ヨーロッパでマダム・サダヤッコと呼ばれ大人気となりました。 縦長の画面に描かれる貞奴の姿は、アール・ヌーヴォーのポスターに多く登場する女性像とも共通します。

    *3月掲載


  • トゥールーズ=ロートレック、アンリ・ド

    TOULOUSE-LAUTREC, Henri de(1864-1901)

    《歓楽の女王》

    REINE DE JOIE PAR VICTOR JOZE

    1892年 AN.2661 1,330x890m/m

    後期印象派の画家として有名なロートレックは、ポスター・デザイナーとしても活躍しました。 ヴィクトール・ジョズの著作『歓楽の女王―娼婦の世界の風習』の出版を告知するポスターで、ロートレックのポスター・デザインの代表作の一つです。 小説の一場面が、あたかも眼前の光景をスケッチしたかのような筆致で描き出されています。

    *4月掲載


  • ボンフィス、ロベール BONFILES, Robert(1886-1972)

    《1925年パリ万国装飾美術工芸博覧会》

    PARIS-1925. EXPOSITION INTERNATIONAL DES ARTS DECORATIFS ET INDUSTRIAL MODERNES

    1925年 AN.2694-43 969x620m/m

    博覧会の充実ぶりを象徴するかのように収穫物を捧げ持つ女性が描かれたボンフィスによるデザインのポスター。 1925年のこの博覧会はデザイン史上重要な催しとなりました。 この博覧会に出品された多くのものに共通する新しいデザイン・スタイルが、博覧会の略称を取って「アール・デコ」と名付けられたのです。

    *5月掲載


  • シュヴァーベ、カルロス SCHWABE, Carlos(1866-1926)

    《第一回薔薇十字会展》

    SALON ROSE CROIX

    1892年 AN.4873 1,810x785m/m

    シュヴァーベはドイツの画家、版画家で、1890年にフランスに移りました。 象徴主義の画家と目されることもありますが、その描画スタイルは、アール・ヌーヴォーの先駆とも言われています。 1892年から1897年までジョゼファン・ペラダンによって開催された「薔薇十字」展にも参加しました。このポスターは、その第一回展のためのものです。

    *6月掲載


  • ド・ヴァレリオ、ロジェ DE VALERIO, Roger(1886-1951)

    《オペレッタ「唇を重ねましょう」》

    OPERETTE "BOUCHE A BOUCHE"

    1925年 AN.2679-15 1,550x1,160m/m

    1920年代のパリでは、数多くの劇場で夜な夜な華やかな公演が催されていました。 このオペレッタのポスターを描いたド・ヴァレリオは、シトロエンやクライスラーの広告で有名なデザイナーです。 簡潔な線で表現された男女の姿は、軽快な歌劇の楽しさを象徴しているようです。

    *7月掲載


  • ドロワ、ジャン DROIT, Jean(1884-1961)

    《1924年第八回パリ・オリンピック大会》

    VIII OLYMPIADE. JEUX OLYMPIQUES. PARIS-1924

    1924年 AN.2679-22 1,168x780m/m

    フランスの画家、ジャン・ドロワがオリンピックのパリ大会のために描いたポスター。 風にたなびくトリコロールを背景に、挙手をして並ぶ半裸の男性たちの姿は、肉体の鍛錬のみを頼りにスポーツに挑むアスリートたちの姿であり、 近代オリンピックが始まって30年弱のこの時代には、依然として古代オリンピックが規範的イメージとして残存していたことを物語っています。

    *8月掲載


  • グラッセ、ウジェーヌ・サミュエル GRASSET, Eugene Samuel(1841-1917)

    《「ジャンヌ・ダルク」サラ・ベルナール主演》

    “JEANNE D’ARC” SARAH BERNHARDT

    1889/1890年 AN.2670 1,160 × 700 m/m

    百年戦争で活躍しフランスの国民的英雄となったジャンヌ・ダルクを、当代きっての人気女優サラ・ベルナールが演じる姿が描かれています。 デザイナーのグラッセはスイス出身で1870年代からパリで活躍します。このポスターには、ベルナールの顔の向きが異なる別のヴァージョンがあります。

    *9月掲載


  • ステンベルグ兄弟 STENBERG Brothers
    ウラジミール Vladimir(1899-1982)
    ゲオルギー Georgii(1900-1933)

    《十月:ロシア革命10周年記念特別制作》

    OCOTBER

    1927年 AN.4825-1  2,625x2,035m/m

    セルゲイ・エイゼンシュテイン監督が、1917年の二月革命から十月革命までの過程を描いた叙事詩的映画の広告ポスター。 ステンベルグ兄弟は、限られた色を大胆に構成し太く強いタイポグラフと組み合わせるスタイルで、 アレクサンドル・ロトチェンコと並び、ロシア・アヴァンギャルドのデザインを確立したデザイナーです。

    *10月掲載


  • レアリエ=デュマ、モーリス REALIER-DUMAS, Maurice(1860-1928)

    《ガス燈ベック・アウアー》

    BEC AUER. INCANDESCENCE PAR LE GAZ

    1892年 AN.3375  1,665x580m/m

    縦長の画面にすらりとした女性を据え、くっきりとした輪郭線と柔らかな色使いで描き出したレアリエ=デュマのデザイン・スタイルは一世を風靡しました。 彼のデザインにギリシャ・ローマ時代の影響が指摘されていますが、当時最先端の技術であったガス燈の広告にギリシャ・ローマ風の女性が使われているところがユニークです。

    *1 カレンダーのキャプションにレアリエ=デュマ, マンリスとありますが、マンリスはモーリスの誤りです。ここに訂正いたします。

    *2 11月掲載


  • シェレ、ジュール CHERET, Jules(1836-1932)

    《スケート場”パレ・ド・グラース”》

    PALAIS DE GLACE

    1893年 AN.3358  1,180x817m/m

    パリの街中に冬だけ登場する屋外アイス・スケート場の広告ポスター。 多色石版印刷の優れた技術を有していたジュール・シェレは、その技術をフルに生かして数多くのポスターを制作し、近代ポスターの父と呼ばれました。 動きのある人物の組み合わせが彼のデザインの特徴で、シェレが描いた女性は「シェレット」と呼ばれ、当時のパリの女性たちの憧れとなりました。

    *12月掲載